日本全体の社会保障というシステムで考えたときに、国民年金が作用する防貧効果と生活保護が作用する救貧効果では、税が投入されるという点では共通の部分があり、現金給付が行われるという点でも共通ですので、防貧効果と救貧効果を区別する必要が無く、防貧効果と救貧効果を社会保障全体のシステムの中で一体として給付すればよいという意見も沢山あると思いますが、受給権者のマインドが大きく異なります。

国民年金を始めとする公的年金の受給権者の皆さんには、受給に際して制約等が無く受給権があれば支給されます。また、条件に該当すれば加給年金等が加算されます。

これに対し、生活保護に代表される救貧効果を目的とした制度は、支給に際し資産の調査や受給後の生活も定期的に調査を受けます。

この結果、本来人生の過程において一時的に社会保障制度から救済が必要になり、その必要に範囲内で法律に基づき救済を受ける場合でも、後ろめたさを感じる方が多いようですね。

同じ事は、障害年金や遺族年金の受給権者の方にもみられます。このあたりは日本人の気質なのかもしれませんね。

そこで、防貧効果と救貧効果を一体として給付するようにした場合において、従来のからのマインドがどうなるのかよくわかりません。

しかし、現在の公的年金の受給権者や現在の公的年金の被保険者にとって、ご自分の過去の保険料納付を否定されることになりかねませんので、非常に不公平だと思います。つまり、保険料の納付状況に関わらず給付が発生する状況になるわけですから、「今まで頑張って保険料を払ってきた」という部分が無くなってしまいます。この気持は厚生年金の期間が永い男性より、昭和61年3月以前の婚姻期間(当時任意加入の期間)が長い女性に多くあります。また、パートさん等で働いてきた方々も同じようにこの気持を大事にされます。


公的年金というのは今や老後の生活資金として欠かせないというだけでなく、金額の過多や受給開始年齢の問題だけでなく、人生の満足感にも大きく影響を与えています。特に国民年金はご自分で支払ったという気持が強くなりますので、寄り一掃この気持が強くなるのでしょうね。受給権者の方はあまり公にこの気持を表明することはありませんが、年金相談をこなしているとこの感想をよく聞きます。

マインドの問題はともかくとして、頑張った人と頑張らなかった人で老後が同じように保証されているのでしたら、人間は果たして頑張るでしょうか?

社会主義と資本主義を比較すると、制度としては社会主義の方が失業者も発生することなく老後の不安もなくなるので、より進んだ制度でありより人間的な制度だと思うのですが、現実には社会主義はうまくいかないんですね。

基本的に私は性善説なのですが、性善説では説明できない方も沢山いますし、かくいう私も仕事嫌いですから仕事をしなくても良いならすぐ怠けてしまいます。だからやっぱり私も資本主義でないと生きていけないと思います。

しかし、資本主義にはリスクが発生します。年金問題では老後のリスクですね。リスクがないと頑張れない。かといってリスクが大きすぎると不安で仕方がない。つまり、この部分もどの程度のリスクまで許容するかは一種のさじ加減となると思います。具体的には防貧効果としての国民年金の受給権の要件は法律でしっかり決まっておりさじ加減の介在する余地がありませんが、生活保護の支給要件は民生委員の方の意見や地域の実態にあわせて対応するべきものですので、国全体で一律に定義できるものではなく、また、同一の市長村内においてもここのお宅の事情にあわせて判断するべきものですので弾力性に富んだ対応が必要になります。つまりさじ加減が必要ということです。

防貧効果と救貧効果を一体とするということは、さじ加減の部分を無くしてしまい条件に該当しない人は一律に切り捨てるか、公平に全員審査するかという問題になります。しかし、防貧効果と救貧効果を一体とすると、一体として給付が社会保障の最後の砦となりますので、さじ加減を無くして条件に合わない人を一律に切り捨てるわけには行きません。すると、現状の裁定請求より慎重な支給審査が必要となり、コストアップは避けられないでしょうね。

やはり、防貧効果と救貧効果は分けて考え、二重のセーフティネットがあった方が安心だと思います。